少し昔のこと。
昼間はカフェ、夕方になるとライブハウス、そして夜にはバーになる。そんな店で僕は働いていた。
ある日のバータイム。
店に細くて背の高い、全身黒い服で身を包んだ男が入ってきた。場所柄ミュージシャンがやってくる事も少なくなく、その男も超有名バンドの一員だという事はすぐにわかった。
一緒に働いていた同い年の女の子がそのバンドの大ファンで、たまたま持ってきていたフェンダーのジャガーっていうギターの裏にサインをしてもらっていた。
僕はたぶん一言も話さなかったように思う。
初めてそのバンドの事を知ったのは、TVから流れてきた「カルチャー」って曲か、同級生のてっちゃんに借りた「ハイタイムス」ってアルバムかどっちかはよく覚えていないが、僕が高校1年生だったことは間違いない。
それは今まで僕が聴いた事のあるどんな音楽とも違っていて、それをどんな感情で受け止めたらいいのかもよくわからなかった。ただ今まで僕が聴いた事のあるどんな音楽よりもかっこいいという事だけは確実にわかった。これが今まで噂にだけは聞いていたロックンロールというものであろう事もはっきりとわかった。
彼らの音はいつだって正しかった。ドラムの音もベースのフレーズもギターのカッティングも、歌も。それ以外にないって音を鳴らしてた。
そして決して余計な音を鳴らさなかった。
聴き手にどうこうしろとは決して言わなかった。聴きたい奴は聴いてくれ、それ以外は関係ない。そんな態度で音を鳴らしていた。
ドラムとベースとギターと歌。
それだけでもう充分だった。
そいつがステージに上がるとでかい音の塊を僕に投げつけ、何も言わないでどっかへ行ってしまう。
「どうだ、かっこいいだろ」
ステージ袖に帰っていく背中がそんな風に言った気がした。
「こっちへ来いよ」
って言った気もした。
「好きにしな」
っていうのが本当のところだろう。
当時僕は大人なんか大嫌いだった。だれかの言いなりのくせにエラソーで、自分が自由でないもんだから他人の自由を押さえつける。媚びる。へつらう。自分の都合で定義を変える。そんな大人の手下みたいな子供も嫌いだった。
そしてバンドをやり出した。
これで世界を変えてやる。くだらないものを全部壊してやる。本気でそう思った。
でも、な~んも変わらんかった。
楽しいのは自分たちだけだった。
でもそれでもよかった。音を鳴らしてる時は最高だった。
時が経つにつれ、段々と周りに音楽をやっている連中がぽつり、ぽつりといなくなった。
年齢の事、お金の事、理由を見つけるのなんて簡単だ。
でも、自分も含め、本気で世界を変えようとかなんて本当は誰も思ってなかったんだろう。
映画「さらば青春の光」の主人公みたいな気分だ。
それでも僕がベスパに乗って崖から飛び降りなくて、今もギターを弾き続けているのは、高校生の時に見た本物のロックンローラー達が今も現役で音楽を鳴らし続けているからなんだろう。