音楽雑記

(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understandingとカヴァー曲あるある

 

Brinsley Schwarz

1974年に発表されたBrinsley Schwarzの6thアルバム、The New Favorites of Brinsley Schwarzに収録された、Nick Loweの作品。

「パブロックとは、ミドルクラスの元モッズたちが、一度はヒッピーのアンダーグラウンドシーンを体験するも、これは自分の趣味じゃないと感じ、再編成してできたもの」とNick Loweがいうように、パブロックを代表するこの曲は、ヒッピーの挫折や敗北感が漂う中にいながら、それでもリスナーに

What's so funny about peace, love and understanding?
(愛と平和と相互理解の何がそんなにおかしいんだい?)

と、語りかけてくる。

最初は冗談ソングに過ぎなかったと作った本人も言うように、本気とも冗談とも取れるようなパフォーマンスで歌われるBrinsley Schwarzの演奏を聴いみても、あえて真剣に向き合っていないというか、ある種の逃げ道が用意されてるようにも感じてしまう。
おまけに間奏に挿入されるちょっと大袈裟なセリフがこの曲をより一層アイロニカルなものにしている。

“we must have peace, more peace and love, if just for the children of a new generation”

 

Jesus Was A Cross Maker

ちなみに本人が、この曲を書くにあたって、Judee SillのJesus Was A Cross Makerからリックを失敬したんだと告白している。オーオオオってところかな、たぶん。

 

Elvis Costello

そこから約4年後、Elvis Costelloが同曲のカヴァーを発表する。
Costelloの場合、まるで俺はマジだ、これは冗談なんかじゃないと言わんばかりにどストレートに臆面もなく、荒々しいthe atractionsの演奏に乗っけて、訴えかけるように歌う。

What's so funny about peace, love and understanding?
(愛と平和と相互理解のどこがそんなにおかしいっていうんだよ!)

 

Brinsley Schwarzの持っていた哀愁やアイロニーを吹き飛ばして、完全に曲の持っている意味をひっくり返してしまった。いや、本来持っていたものを取り戻したと言った方が正しいのかもしれない。

Nick Lowe本人でさえ、Elvis Costelloの歌うのを聴くまではそこまでこの歌が好きじゃなかったと言う話をどこかで聞いたことがある。

でももしかしたら、Elvis Costelloは人の曲だからこんな風に歌えたのかもしれない。もしCostello本人がこの曲を作ったとしたら、こんなにストレートに愛と平和を歌うのをためらったかもしれないし、Nick Loweのようにちょっとひねくれたアイロニーをまぶしたのかもしれない。

 

カヴァー曲あるある

人の曲だからこそ遠慮なく歌えるというのは、非常によくわかる。

本当にいいものが作れたとしても、自分が作ったものを素晴らしいと確信を持って世に発表できるかというの所にはまた別のハードルがあって、作った作品がユニークであればあるほど、あるいはそれが王道であればあるほどそのハードルは高いのじゃないだろうか。

例えばもし、ブルーハーツのいない並行宇宙で、僕が何かの間違いで自分がリンダリンダを作ったとしても、それをそのまま発表できるかどうかはちょっと確信が持てない。照れ隠しや理論武装、批判や中傷をかわすためにありとあらゆる予防策を張ってしまい、結果作品をダメにしてしまったりしてしまうかもしれない。

その点人が作った歌は楽である。
最初からいくらでも逃げ道があるので、プレッシャーは少ない。

この人この曲はいいけど他はイマイチだなあ、という時に、実はその曲がカヴァー曲だったり、他人が作ったりしていることがあったりもする。
それでなんとなくがっかりする気持ちが無いかと言えば嘘になるが(ついこの間もSweetというバンドの大半の曲はチン&チャップマンというプロデューサーが作ったという事実を知った時に、なんか騙されたような気分になったが)それは自分が勝手な妄想を描いていただけのことで、本来リスナーとしては、いい曲をいい演奏で聴きたいだけで、それを誰が作ったとかどこで録ったとかなんて全くといっていいほど関係ないはずなのである。

そこをきっちり分けて考えないと、有名人の使ったギターに数億円払ったりするやつや、有名アーティストが販売するエアギターの弦を買ったり、しまいには女子高生が使った衣類に高い金を払って購入する奴が増え続けることになるのである。

もっと脱線して話せば、別に犯罪者が作った曲だろうが、音楽とはなんの関係もない話で、アーティストが悪いことをして、迷惑するのはその被害者と当のアーティストを抱えてお金を稼いでいる企業であって、リスナーはそんな次元で音楽を聴いていない。

ところが近頃、特にSNSとかいう世界では、音楽やアーティストよりも何故か企業の論理の肩を持つ意見がやけに幅をきかせている。

それもそのはず、SNSを運営しているそのものが今や大企業。彼らは資本主義社会のど真ん中にそびえ立つ企業オブザ企業なのである。
それが証拠に、それらの企業の時価総額は、株価絶賛暴落中のこの2022年6月においても、SNS代表格のMeta 4750億ドル、Twitterでさえ300億ドル、YoutubeやGoogleを持っているAlphabetに関しては1.5兆ドル。

片や日本のメディアと呼ばれるものはKadokawa 4000億円、日本テレビホールディングス 3400億円
フジ・メディア・ホールディングス2700億円。ソニーでさえグループ全体で15兆円。

円表記とドル表記でわかりにくくなっているが、文字通り桁が違う。この点だけとってみてもSNSが一般庶民の声を反映しているかどうかは実際のところ非常に疑わしい。

話は脱線に次ぐ脱線で、ブルースブラザーズのように公道私道を所構わずかっ飛ばしていってしまったが、そもそもビートルズの出現以降、あるいはパンクロックの隆盛以降か、バンドはオリジナル曲を作って演奏しなければならないという呪いをかけられているが、こんなものも結局のところ企業の論理であって、ビジネスの話である。
新しい曲を作ってレコードを売らなければレコード会社は稼げないし、お金を稼げない売れないミュージシャンはバイトしなければいけないのはわかる。

さらにそもそも、みんな本当に新しい曲が聴きたいのだろうか?一生かけても聴けないほどの素晴らしい曲が世界中にあふれているのに。誰かにそう思わされているだけなんじゃないだろうか?

 

(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding

ただこの曲が素晴らしいと言いたいがために、どうでもいい小話や妄想をはさんでしまうあたりに、どうも真剣さに欠けるというか、逃げ道を用意している姑息さを感じで気分を害した方もいるかもしれない。

もし最後まで根気強く読んでくれた方には、もう一度この曲を聴いて、そんな全てはどうでもよかったのだと感じていただければ幸いです。

そんなわけで最後に、ばか売れしたサントラに入っているゴキゲンなCurtis Stigersヴァージョンよりも、オリジナルのBrinsley Schwarzよりも大好きなElvis Costello and the impostersのLetterman Showでのライブ演奏を聴いてお別れしましょう。

 


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